兵庫県丹波市で、江戸時代後期の名石工「丹波の佐吉」の作品を巡ってきました

東京都一円にて、お墓づくりをはじめ、お墓の様々なご要望にご対応しております、一銀(かずぎん)石材の稲田圭二郎と申します。兵庫県丹波市で江戸時代後期の名石工「丹波の佐吉」の作品を巡ってきましたので、旅のようすをご紹介いたします!

丹波の佐吉の作品と 初代難波金兵衛の高燈籠

 

以前からブログでお話ししていますが、私は特に中世に関西地方で作られた古代型五輪塔がとても好きで、奈良や京都、滋賀などへ五輪塔を見に行くこともあります。初めは見ているだけだったものが、「昔の人にできるなら、同じ人間なんだからできるはず!」と自分でも作り始めて、今は勉強を兼ねて色々なものを見に行っています。今回は、江戸時代後期の名石工「丹波の佐吉」と、初代難波金兵衛の作品を見に兵庫県丹波市へ行ってきました!!

 

兵庫県丹波市 柏原八幡宮(かいばらはちまんぐう)

兵庫県丹波市の柏原八幡宮の灯籠前で写真を撮りました。今回も、仲の良いお寺のご住職と一緒です^^ 「丹波の佐吉」は江戸時代後期の有名な石工で、その師匠だったのが初代難波金兵衛です。ご住職の隣の灯籠は製作者ははっきり分かりませんが、難波金兵衛の作風を感じるものでした。

【丹波佐吉】(丹波市観光協会HPより)
丹波佐吉は文化13年、1816年、但馬の国竹田、今の朝来市の貧家で生まれ、幼くして両親を亡くし、
たまたま縁あって丹波新井村、今の丹波市柏原町の石工、初代難波金兵衛の養子となります。佐吉は石工の道に精進しますが、佐吉23歳のときに金兵衛との縁を切り、旅稼ぎのワタリの石工となります。
石の尺八を作って、時の孝明天皇から「日本一」の賞賛を賜るほどの腕前でした。
自ら自分の郷里は丹波大新屋なりと答えるなど望郷の念は強く、人はみな、彼を丹波佐吉と称しました。

 

柏原八幡宮には、佐吉が作った狛犬が一対あります。文久元年(1861)に寄進されたものと言われています。佐吉は初代難波金兵衛に師事して石工の腕を磨き、その後当時の天皇陛下から「日本一の石工」と賞賛を賜ったほどの腕前でした。

 

はっきりは分かりませんが、当時現地で採れていたねばり気のある石で作られているようでした。左側は雌なので、優しいお顔をしています。

 

右側は雄で、力強い雄々しいお顔です。台石の文字は当時の儒学者が書いた文字だそうです。

 

表情も豪快で、今にも動き出しそうな躍動感には「すごいなあ~」と感心しきりでした。佐吉の作品は技術的にも、当時は機械もないのに「ようやったなあ」と感心するものが多いです。こんなに素晴らしい作品なので、風化しないよう「屋根を付けてもらえないかな・・・」と思いながら、柏原八幡宮を後にしました。

 

続いて、佐吉が作ったほかの作品を見に行きました。6代目当代の難波金兵衛さんに連絡を取ってご案内いただきました。こちらは不動明王です。高さは5,60cmで、緻密な加工が施されています。私が佐吉の作品ですごいと感じるのは、いわゆる「抜き」の技術です。背後の炎などの石を抜いている部分のことで、抜きが多用されているこの作品は、一目見て「えぐいな!」と思ってしまいました^^

 

太刀を持っているお顔の横の部分、手の周りも抜いてあります。こんなに細い部分を抜くのは、今の工具を使ってもかなり難しい技術です。

実は、どうやって佐吉がこうした加工をしていたのかは、いまだによく分かっていません。佐吉は幼くして親を亡くして初代難波金兵衛の養子になっていましたが、その後出奔してワタリの石工になって大阪に向かいます。そこでは、大阪の職人たちと技術を競う勝負をして、加工のしにくい石を使わざるを得なかったにもかかわらず皆が驚くくらいの技術を披露したり、その後も「日本一」と称されるきっかけになった石の尺八を作ったり、佐吉が本当に高い技術を持っていたことが分かるエピソードも残されています。尺八は中が空洞になっているので当然「抜き」が必要ですが、それもどんな技術だったのかはいまだに分かっていません。謎が多いところも、佐吉の魅力のひとつなのかもしれません。

 

こちらのお狐の像も佐吉の作品です。こちらはまた一風違った、とてもきれいな作品です。

佐吉の作品に間近に触れることができて、とても幸せな時間でした。案内をしてくださった難波金兵衛さんに本当に感謝です。お世話になりました!

 

せっかくなので、柏原町にある北山稲荷神社にも行ってきました。こちらも佐吉の作品です。こちらはお屋根が付いて保護されていました。今回は、佐吉の色々な作品を鑑賞することができました。

 

こちらは、先ほどの柏原八幡宮からも近い住宅街の一角にある、初代難波金兵衛の高燈籠です。高さは5.3mあり、丹波市の指定文化財になっています。丹波市内最大の石造建造物だそうです。火袋の隅柱の細さや棹石のくびれなど、繊細な技術が感じられます。近年の大きな地震でも倒れずに残っているのはすごいですね。

 

以上、今回は石屋のお仕事のご紹介からは少し離れて、丹波の旅の様子をご紹介しました。今回の旅で一番感じたのは、当時の加工技術の凄さです。見た目や形の好みは人ぞれぞれですが、いまのような機械も道具もない当時、どうやってこんな精緻な加工をしたのかと、「すごいなあ~」と感心しきりでした。一方で同じ石工としては、昔の人にはできていたのに今の石工にできないということが、とても悔しく感じました。「もっともっと勉強せなアカン!!」と気持ちを新たにした旅でした^^